チャスラフスカさん死去(画像あり)息子の素行のことで悩んでいた過去も
東京五輪の「名花」チャスラフスカさんが亡くなられました。
息子の素行のことで悩んでいた過去もありました。
元女子体操選手チャスラフスカさん死去
1964年の東京五輪で3個の金メダルに輝き、「名花」と呼ばれた旧チェコスロバキアの女子体操選手ベラ・チャスラフスカさんが死去した。
74歳。ロイター通信などが伝えた。
チェコ通信によると膵臓がんを患っており、30日に亡くなった。
東京五輪当時、チャスラフスカさんは22歳。
女子個人総合など3種目で金メダルを獲得、「東京五輪の名花」と称えられた。
優美に流れるような体操演技は往年のファンの目に焼き付いている。
チャスラフスカさん略歴
60年ローマ五輪団体総合で銀メダル
東京五輪では個人総合、平均台、跳馬で金メダル。
68年夏の「プラハの春」で民主化アピール「二千語宣言」に署名した
メキシコ五輪では個人総合連覇を果たし、跳馬と段違い平行棒、ゆかでも優勝。
89年のビロード革命後はハベル元大統領の顧問、チェコ五輪委員会会長などを歴任した。
大の親日家としても知られ、チェコ日本友好協会名誉会長としても活動している。
日本とチェコの友好促進に貢献したとして、2010年に旭日中綬章を授与された。
東日本大震災の時はチェコのチャリティーコンサートに避難所生活を続けていた福島県の子供たちを招待
チェコの五輪金メダリスト、チャスラフスカさん死去の報。一昨年春に「プラハの春」について取材させてもらいました。東京の女王として民主化宣言に署名した彼女は、連覇を狙うメキシコ大会を前に迫害され、山小屋に身を潜めて独り練習に励みます。そして「ソ連だけには負けまい」と本番に臨みました。
— 冨永 格 (@tanutinn) 2016年8月31日
亡くなったチャスラフスカさん。メキシコ五輪では個人総合の2連覇を果たしますが、種目別でソ連国歌が流れる時は表彰台でうつむきました。民主化運動を武力で潰したソ連への抗議です。後に「世界が見ています。メダルを没収されない範囲で何かやってやろうと思いました」と私に話してくれました。
— 冨永 格 (@tanutinn) 2016年8月31日
息子はマルチン・オドロジル
彼女は息子の素行のことで悩んでいたという。
1993年8月、息子がチャスラフスカと離婚した元夫(マルチンからすれば実父)とケンカをし、その際の暴力で息子が実父を死に至らしめてしまうという事件が起きた
その後、チャスラフスカは鬱状態に入り、チェコの病院で暮らすこととなった。
チャスラフスカや息子のことは以下の書籍に記されている。
チャスラフスカさん画像集
スライドショーになっています。
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