「全て自信作です」と言い切る『河野多恵子』の生き方に感動
「自分に自信があります」これは誰もが口にする人が持ってもいい自尊心の表現のひとつだと思います。それを生き方として最後まで貫き「蟹」「みいら採り猟奇譚」など次々と話題作を生み出した河野多恵子さんに敬意を払いたいと思いこのまとめを作成しました。ご冥福をお祈りします。
→昭和の偉大な作家「河野多恵子」死去
代表作「みいら採り猟奇譚」
人間の感覚を丹念に描いた作品で「理由はなくても人間の持つ感覚に従って行動することの素晴らしさ」が詰まっている。
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河野多惠子(こうの・たえこ、本名・市川多惠子=いちかわ・たえこ)さんが、29日午後7時15分、呼吸不全のため東京都内の病院で死去した。88歳だった。
出典 河野多惠子さん=作家、文化勲章受章者 : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
葬儀は近親者で行い、後日お別れの会を開く予定。
出典 河野多惠子さん死去、作家 「書いてきたものすべてが自信作」
喪主はおい、河野明(こうの・あきら)氏。
出典 作家、河野多恵子さんが死去 「蟹」「一年の牧歌」文化勲章受章者 – 産経WEST
女性初の芥川賞選考委員となったほか、辛口で鋭敏な批評でも知られた。
出典 河野多恵子さん死去 倒錯した性衝動など表現 女性初の芥川賞選考委員 – 芸能 – ZAKZAK
→河野多恵子とは?
デビュー作「幼児狩り」は新潮社同人雑誌賞
「蟹」は芥川賞を受けた。
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大阪府生まれ。西道頓堀の椎茸問屋の娘
出典 河野多惠子 – Wikipedia
大阪府女子専門学校(現大阪府立大)卒。
出典 東京新聞:河野多恵子さん死去 作家「みいら採り猟奇譚」:社会(TOKYO Web)
1952年、作家を志して単身上京し、会社勤めをしながら丹羽文雄主宰の同人誌「文学者」に参加。
出典 河野多惠子さん=作家、文化勲章受章者 : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
1963年に、結核で療養中の女性の心の内側にある確執を描いた「蟹(かに)」で芥川賞を受賞した。
出典 河野多惠子さん死去、作家 「書いてきたものすべてが自信作」
女性受賞者は14年ぶりだった。
1987年に女性の作家として、初めて大庭みな子と芥川賞選考委員になり、2007年まで務めた。
出典 河野多惠子さん死去、作家 「書いてきたものすべてが自信作」
→人間の持つ感覚の素晴らしさを描き続けた女性
人間の感覚を丹念に描いた作家
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河野さんには「みいら採り猟奇譚」など人間の感覚を丹念に描いた作品が多い。
出典 東京新聞:河野多恵子さん死去 作家「みいら採り猟奇譚」:社会(TOKYO Web)
過激な性や人間の内面を追究する作風で文壇での地位を築いた。
出典 作家の河野多惠子さん死去=文化勲章受章、「蟹」—88歳 – WSJ
「『感覚』というのは、無意識の中にある論理の積み重ねだ」
出典 東京新聞:河野多恵子さん死去 作家「みいら採り猟奇譚」:社会(TOKYO Web)
河野さんの持論。
幼児への異常ともいえる関心、サディズムとマゾヒズム、倒錯した性衝動など、人間の奥底を徹底して見詰め、硬質な文体で表現した。
出典 河野多恵子さん死去 倒錯した性衝動など表現 女性初の芥川賞選考委員 – 芸能 – ZAKZAK
→河野多恵子さんをよく知る人の声
翻訳家の鴻巣友季子さん。
→「作品すべてが自信作です」と言い切る河野多恵子に感動
最後の作品『逆事』
人は満ち潮どきに生まれ、引き潮どきに死ぬ? 亡き面影に謂れをたどるミステリアスな最新短篇集。
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河野さんは、入院中も短編の構想を練るなど執筆の意欲は衰えず
出典 作家の河野多惠子さんが死去 NHKニュース
2014年11月、文化勲章を受章した際は「これまで書いてきたものすべてが自信作」と創作への情熱を語った。
出典 河野多惠子さん死去、作家 「書いてきたものすべてが自信作」
年を重ねても衰えない創作意欲に感動しました。
記者会見で、親交があった丹羽文雄さんら先輩作家の名を挙げながら「みんな亡くなっちゃった」と、込み上げる涙をハンカチで押さえた。
出典 東京新聞:河野多恵子さん死去 作家「みいら採り猟奇譚」:社会(TOKYO Web)
「小説を書くことは自分を確認することで大事なことです。これまで書いてきたものすべてが自信作なので、読んで感じてくれたことが1つでも2つでもあったらいいと思っています」
出典 作家の河野多惠子さんが死去 NHKニュース
謙虚さと自分への誇りが表れていて素晴らしい言葉ですね。
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