津山事件(津山30人殺し)寺井ゆり子さんのその後
報道スクープSP 激動!世紀の大事件III~未解決事件の「謎」と目撃者の「新証言」~が12月12日に放送されました。
「八つ墓村・津山30人殺し」「7人を食い殺したヒグマ事件」「悪徳産婦人科と闘った女たち」。どの事件もインパクトがあり過ぎましたね。
津山事件とは?
中でも印象に残ったのは津山事件でした。
オウム真理教のサリン事件より多くの死者を出した津山30人殺し。
単独犯の殺人事件としては極めて異例の事件ですね。
テロや複数犯による犯行をのぞけば、20世紀に入ってから全世界で5番目に多い数とされているぐらいです。
津山事件とは
わずか1時間半の間に村人30人を惨殺した事件として有名です。
実行したのは都井睦雄(といむつお・22歳)
1938年(昭和13年)5月21日午前1時ごろ、岡山県苫田(とまだ)郡西加茂村大字行重(ゆきしげ)の貝尾部落と
その隣の坂本部落が舞台になっています。
八ツ墓村のモデルになったと言われている事件ですね。
動機ははっきり分かっていませんが
事件の被害者の多くは、睦雄と関係した女たちとその係累だったことから、怨恨など何らかの女性トラブルの可能性が高いです。
睦雄は村の中の十代から四十代までの十人余の女たちと性的な関係を持っていたといわれているからです。
寺井ゆり子さんのその後
先に紹介した津山三十人殺し 七十六年目の真実 空前絶後の惨劇と抹殺された記録によれば
只友登美男さんの妻で、実家が睦雄の実家の近所だっという良子という女性。
その場所は睦雄が襲った3軒目の場所として知られているようですが、睦雄は一家4人を殺害しました。
その時に良子さんを一緒に実家に帰ろうと誘ったのが寺井ゆり子さんだそうです。
ゆり子さんもまた良子さんと同郷で弟の結婚式のために帰るということでした。
睦雄は村でも評判の美人だったゆり子さんを本命としながらも良子さんと関係をもっており、2人が里帰りしたことが事件の引き金になったのではと思われます。
一方的なストーカー行為だったのかもしれないというのが大体の意見です。
寺井ゆり子さんはその後どうされたのでしょうか
ゆり子さんは睦雄を振って「丹羽卯一」といいう男性と結婚しましたが睦雄は夜這いをかけたため、離婚しました。
しかし、2ヶ月後には「上村岩男」と再婚されたそうです。
そして事件が起きます。
ゆり子さんは途中で転んで「寺井茂吉」という人の家へ逃げ込みます。
この家は睦雄の襲撃計画に入っていませんでしたが、ゆり子さんを匿ったために襲撃の対象となります。
そこでゆり子さんは床下に隠れて難を逃れました。
「登美男」さんの証言によると
睦雄は「おまえを残しちゃいけんのや!」と言って、床下に隠れた「ゆり子」めがけて銃を撃ちこみ喉元に擦過傷を負わせたようです。
撃ちどころが違えば即死だったようですが、ゆり子さんは難を逃れることができました。
その言わば運の良いゆり子さんは2010年の時点では90歳を超えてまだ存命中ということです。
ただゆり子さんの家族も5人殺害され天涯孤独の身で過ごされているわけですから心痛は計り知れないでしょう。
睦雄の一方的なストーカー行為が原因ならなおさらです。
ただ彼女が良子を誘わなかったら事件が起こっていなかったのではないか、さらに言えば怪我を負って逃げ込まなければ犠牲者を増やすことはなかったのではないかという見方もでき、それが事実ならゆり子さんは自責の念にも駆られながら生きていたのかもしれません。
事件直前に結婚した上村岩男との間には子供もできたそうです。
ゆり子が良子を実家に誘った時「登美男」さんは行く気持ちがせずそのまま、残ったと言います。
その登美男さんが結果津山事件の貴重な証言者となったのですから人生何があるかわからないものです。
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