妹ぱらだいす2は本当に『不健全図書』なのか…表現の自由は?
妹ぱらだいす2の不健全図書が話題になっている。3年前に改正した法案を東京都が初めて適用した具体的な書籍(漫画)が妹ぱら2だからだ。
不健全図書という呼び名
私は妹ぱらだいすという漫画をみたことも聞いたこともなかったが、子供を持つ親として不健全図書には注目している。
ただ何が健全で何が健全でないかという大枠を「不健全図書」とカテゴライズするのはいささか無理がある。
不健全図書という言葉自体、個人的にはあまり好きではないし、見方を変えればどんな書物も健全図書にもなれば、不健全図書にもなりうると考える。
つまるところ、その書物を受け取った人がどう感じるかであって第三者が「不健全」と定義してはいけないのだ。
性的描写を子供に教えるということ
高い道徳心を持つことが善とするならば、性的な事も包み隠さず教えなければならない。近親相姦や強姦の危うさなどを子どもと真剣に話し合う親がどれほどいるだろうか…。
日本人はどちらかと言うと性的な事を子供に教えるのを苦手とする。だから大人たちは、見させた上で子供に判断させるのではなく、見ないうちからガードしようとする。そういう教育に私はあまり賛成しない。
子供たちには夢があり自由がある。未来を選ぶ権利がある。18禁の漫画家を目指すこともできれば、兵器を製造する会社に就職することだって可能だ。それらの人々はネガティブな気持ちでその仕事に携わっているわけではなく、反社会的運動を推進しているわけでもない。
表現の自由を一番持っているのは子供だ。自分が子供の時『じゆうちょう』を持って落書きしていた時を懐かしく思う。それが、大人になればなるほど狭く、居心地が悪くなりいつのまにか「じゆうちょう」を手放してしまっているのだ。
そう考えると極論になるかもしれないが、18禁、R18指定という枠でさえ邪魔にすら感じる。それをカテゴライズしなければならなくなった社会を異常に思える。
それらの書物、映画に影響を受け誤った方向に進む人は年齢を問わず存在するし、観た上で冷静に判断できる分別のある小学生も存在する。私は後者の子どもになるように育ててたい理想がある。
私が思うにやはり三つ子の魂百までという言葉は至言だと思う。結局ごく幼い時(3歳未満)に見てきたものが子供の善悪基準に後々大きな影響を与える。親が暇つぶしに何気なく観ているテレビですら子どもに大きな影響を与えているのだ。
例えば、子供がおもちゃを片付けるまで見守っている親と先回りして片付けてしまう親とでは子供の成長は随分違うだろうし、性的な描写を早くから子供に教えている親と、そうでない親とでは性に対する見方も変わるだろう。
妹ぱらだいすと表現の自由
近親者間の性行為を不当に賛美しまたは誇張するように、描写しまたは表現したかどうかが争点になっているという。
元々この漫画は18禁のゲームを母体としているので、初めから非現実的な設定が不当となるのかどうかが気になる。…同時に、こうして少しずつ性的な描写に対する表現の自由が規制され、子どもに見させては悪なものとされることがかえって子どもに悪影響を与えないものかと危惧する。
少し話が変わるが、日曜の朝放送されているワイドナショーで松本人志が美味しんぼの描写問題について
「表現者はその作品において神、そこを第三者が規制したり、改変したりするのは神への冒涜」とコメントしていのが印象的だった。
結局「妹ぱらだいす」という作品の表現の自由を第三者がどこまで規制できるかということになるが、個人的には妹ぱらの作者も美味しんぼの作者のように堂々と正当性を主張してもらいたいと願う。
今日のまとめ
「妹ぱら2」が指定された『不健全図書』って?
あえてこの話題でまとめさせていただいた。NAVERまとめでは広告主の判断で閲覧制限がかかってしまうものがある。そういう意味で今回のまとめはかなり危ういと個人的には思っている。
妹ぱらだいす情報や認証回避の方法などを期待してこのブログを閲覧した人はがっかりしたのではないだろうか…。まあ、がっかりすること自体どうかとは思うが…。
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